ここにいる少女、桜咲刹那は
主人であり幼馴染みでもある少女、近衛木乃香を愛していた。
ただ、この想いは人に知れることは無く
自分一人で、抱えていこうと決めていた。

ここにいる少女、近衛木乃香は
従者であり幼馴染みでもある少女、桜咲刹那を愛していた。
いつか想いが通い合う日を信じて止まず
二人で一緒に歩みたいと感じていた。

木乃香から見ると、刹那は固いのだ。
何かに付けて、従者だ主人だという理由で静止を求める。
刹那から見ると、木乃香は柔軟過ぎるのだ。
何かに付けて、突拍子もない意見で自分を驚かす。
その認知の不一致には、二人の性格の違いこそあるが
決定的な事実もあった。
それはお互いの中での『主従』と『幼馴染み』の割合の差である。
木乃香は幼馴染みを重視し
刹那は主従を重視していた。

木乃香は主従の関係を、あまり好ましく思っていなかった。
愛しい愛しい刹那が、急によそよそしくなってしまったのだ、無理もない。
小さな頃、耳元で囁かれた言葉
『ウチが、このちゃんのこと、守ったるからな』
その響きに、どれだけ憧れを持ったものか
悪い敵から格好良く自分を救う刹那を、どれだけ夢に見たものか。

しかし、今はどうだろう。
護衛という面目で、壁を作られている気がする。
嫌われているのかなあ、と
自分がどれだけ悩んだことか
どれだけ枕を濡らしたことか
刹那は分かっているのだろうか?
分かっているなら、今すぐにでも
駆けてきて、抱き締めて
ただ『好きだよ』と囁いて欲しいのに。


刹那は幼馴染みという関係を、あまり好ましく思っていなかった。
…いや、好ましく思わないということは無いのだ。
しかし、どうか
従者の身で在りながら、主人を愛称で呼ぶなど
決して許されたことではない。
況してや自分は、何処の馬の骨とも判らぬ存在。
必死に感情を押し殺し、主人の人生を見守ることしか出来ないのだった。

例えば。
刹那が木乃香のことを、昔のように『このちゃん』と呼んだとしよう。
ネギや明日菜を始めとした事情を知る者達は、微笑ましいなと思ってくれるかもしれな
い。
だが、端から見れば、だらしのない従者にしか見えないのだ。

するとどうか。
刹那は生きる支えを失うことになる。
大好きな木乃香が目の前から消え
自分は近衛家を守ることが出来なくなる。
ただの烏族、それもなりそこないでしかなくなるのだ。
刹那にとっては一度味わったことのある生活
しかし、二度とは御免である。
大袈裟かもしれないが、このちゃんと呼ぶことはつまり主従の欠落
木乃香からも離れなくてはいけない。
それが出来る筈もなく、刹那は愛称を避けていた。
出来ることなら今すぐ駆けて、抱き締めてしまいたい。
『好きだよ』と一言言えたら、どれだけ楽になれるだろう。


昔に戻るには少し、厄介事が増えすぎたのだ。




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