たらこにぎり飯
「静かでござるなあ…。今日はいい日でござる」
手頃な木に登り、頑丈な枝に腰掛ける。
木の上に吹く風は多少肌寒いが、見える景色はなかなかのもの。
このような絶景が拝める高い所を、楓は気に入っていた。
「楓、何をしているんだ?」
「おお…刹那、休憩でござるか。 なに、景色を眺めているのだ。絶景でござるよ」
「ああ、一段落ついたから休憩だ。 絶景か、麻帆良は広いからな…」
「そうでござる、ここはとても広い。散歩のしがいがある」
下からの疑問に答え嬉しそうに空を仰ぐ楓に、刹那は目を細めた。
楓が高所が好きだということを、刹那は知っている。
そして楓は、刹那に流れる血のことを知っている。
この背の翼を出し、楓を空の旅に招待できたなら。
楓はどれほど喜ぶだろうか。私はどれほど幸せだろうか。
とても実現できそうにはない理想に切なくなって、ぎゅっと目を瞑る。
そして目を開くと、見えた楓は少し震えていたような気がした。
「楓、もうそろそろ降りたらどうだ?」
「む…。もう少し見ていたいのでござるが…」
「そうは言っても、震えているじゃないか。寒いんだろう?」
そこまでばれていたでござるか…、楓は苦笑いしながらそう答えた。
枝にかけていた両腕に力を込めると、素早く飛び降りて着地する。
「手馴れたものだな、あれほど高い所から飛び降りているのに」
「ふふん。拙者は長瀬楓でござるからな…にんにん」
自慢げに笑う様に苦笑しつつ、刹那はあることを思い出す。
「そうだ、楓。昼飯にしないかと呼びに来たんだ」
「もうそのような時間でござったか。いや参った、夢中になると時を忘れてしまう」
「それは私も同じだな、素振りに夢中になり過ぎた。いつもより昼が遅れてしまったよ」
お互い様でござるな、楓が微笑んで刹那も微笑む。
テント付近まで少し歩く時間がある。二人は他愛のない話をしながら進んだ。
テントに着くと刹那は、脇に置いてあった袋を漁る。
昼飯を探しているのを知っている楓は、その近くの丸太に腰掛けて待った。
「お前の分だ」
「かたじけない。しかし、昼など言ってくれれば拙者が作るというのに」
「そういうわけにもいかない。お前には夕飯を馳走になっているんだ。昼まで貰う真似は出来ない」
「遠慮深いでござるなあ。さすが日本人、でござるか」
「お前もじゃないか」
アルミの包み紙を開くと、形の整ったおにぎりが出てくる。
刹那の作る昼飯はいつもこれであったが、特に苦手でもない楓は満足して食べていた。
中身は毎回決まって梅干しだ。やはり日持ちが良いという利点は強い。
暫く無言で食べ進んでいると、具の部分に到達する。
そこで楓は初めて違和感を持った。
「む、梅干しではないのでござるな」
「気付いたか…。まあな、今日だけだ」
何故か少し嬉しそうに言う刹那に首を傾げつつ、楓は続ける。
「たらこ、でござるな。拙者、たらこのおにぎりは好物でござる」
「そ、そうか」
満足そうな表情で頬張る楓に、なんとなく照れ臭さを感じる。
しかし楓は、あることに気付いて言い出す兆しがない。
「な、なあ…楓。今日が何の日か、覚えていないのか?」
「…?なにか特別な日でござったか?」
きょとんとした表情で見つめてくる楓。
そんな姿に顔を赤らめつつも溜息を吐き、刹那は言葉を続ける。
「今日はお前の誕生日じゃなかったか?」
「ん、拙者の誕生日…? …お、おー。そうでござった、誕生日!」
おにぎりを両手で高く掲げ、多少オーバー気味にリアクションを取る楓。
すると刹那は困ったように笑って、最後の一口を口に放った。
少しの間、咀嚼で黙る。その間、楓も同じ様に咀嚼しながら刹那を見つめた。
刹那の喉が動き、一口を飲み込んだことを知らせる。
「楓。それを食べてから、少し歩きに行こう」
「ほう、お主から散歩の誘いとは珍しいでござるな」
立ち上がって、まだ昼食をとっている楓を見る。
さすが散歩部か、誘いを聞いてもう上機嫌だ。
「歩いて少し腹を空かせたら、お前の好きなプリンでも買ってこよう」
「ふふ…誕生日はいいものでござるな。お主がこのように優しいのは珍しい」
そんなに冷たくしていたか?少しだけおどけて聞く刹那。
「いや、お主は優しいでござるよ。今日の昼食は格別でござった、ご馳走様」
「ふ…昼食一つで優しいと言われるなら、儲けものだ」
アルミの包みを手で丸めると、刹那はそれを受け取って袋に入れる。
「かたじけない」
「なに、いいさ」
並んで二人は歩き出す。
特に当ては無い。
ゆっくりと歩いていく。
「誕生日だからな。特別に今日は奢りだ」
「そうけちけちすることもなかろう?仕事、とやらでたんまりと儲けているのだから」
楓が刹那を肘で小突くと、慌てたように取り繕う。
その様が大好きで、楓のからかいはもはや日常茶飯事となっていた。
「う、うるさいな。そんなことを言っていると、金は払ってもらうことになるぞ」
「ふふ、拙者今は持ち合わせておらん。しかし、遠慮も持ち合わせがなくてな」
「…参ったよ、お前には。まあ年に一度だ、無礼講か」
「その言葉、しかと聞き受けた。後の後悔は受け付けんでござるよ」
さあ、行こうか。そう言ってから。
刹那の腕を取り、自身のそれと絡ませて歩きだす。
結果とてもアンバランスな恰好になり、刹那が半ば引きずられる感じで散歩は始まる。
今日はいい日でござる。
今日木の上で呟いたセリフを、またここで呟いてみる。
刹那はそうか、と返事をして。
頭にはあの絶景が浮かび上がる。
幸せを手一杯に抱え、楓は歩いてゆく。
「さあ!近辺のプリンを完全制覇でござる」
「な…!う、嘘だろう、おい!」
終わり
SS置き場TOPへ