姉妹



なんと間抜けな話だろう。
一部隊を任されているはずの天馬騎士が、疲労で天馬から落馬して怪我をするなんて。
部下には絶対にしられたくない、そう思っていたのに。
なんで真っ先に伝わるのかしら。
妹だから、仕方のないことなんだろうけど。


「姉さん。足、大丈夫?」
「…平気よ。もう、さっきからずっと言ってるじゃない」
この天幕の中でその言葉を聞くのは、もう何回目のことだろう。
さっきと同じように、いつものヴァネッサらしくない下がり眉で、私の足首を見る。
だって痛そうだよ、って付け加えて。

確かに、自分で見ても痛そうだと思う。そして本当に痛い。
でも、そんなこと言えるわけないじゃない。
天馬騎士としての処置には背くけど、やっぱり姉として恰好悪いから。
やっぱり私の大半を占めるのは、天馬騎士という立場よりもヴァネッサの姉ということのようだ。

こんなことで出世できるかしら、と考えてみるけど。
その出世したい気持ちも元を正せば、ヴァネッサの努力に負けないようにということなのだ。
姉バカかしらね、なんて呟いてみても、当の本人は包帯きつくない?とか的外れなことを返してくる。


「この前姉さんがそうしてくれたように、今日は私が一日姉さんに付き添うから」
「やあね、そんなことしなくてもいいわよ。軽い怪我なんだから」
「駄目。この前のお返ししなくちゃいけないしね」
「お返しって…いつからそんなに大人になったのかしら」
「もうずっと、大人です」
「ちっちゃい頃はずっと私に甘えてたのに」

そう言うと、頭に浮かぶ過去の記憶。
お姉ちゃんって言いながら、この子はずっと私の後ろを歩いていた。
私自身もそれが普通だと思い込んでいたから、改めて驚いたのだと思う。
ヴァネッサはもう、私の隣まで追いついているのかも知れない。

このままじゃ追い越されてしまう。
そんなことは絶対嫌だ。

一種のエゴかも知れないけれど、嫌なものは嫌である。
独立した大人になっても、ヴァネッサは私の妹であってほしい。

「…私はいつから、姉さんになったのかしらね」
「え?」
「だってヴァネッサ、昔はお姉ちゃんって呼んでたじゃない。
  ちっちゃい頃は可愛かったわー、お姉ちゃんお姉ちゃん言ってついてきて」
「や、やだ姉さん、やめてよそんな話。恥ずかしい」

恥ずかしい、ということはヴァネッサも昔のことを色々覚えてるらしい。
転んで泣いたりとか、しょっちゅうあったのに。
今では泣くどころか、転ぶ姿だって見るのは難しい。
…もっとも今にそう何回も転ばれたら、行軍中気が気でならないのだろうけど。


「…天馬騎士になった頃かな。本格的に姉さん、って呼び始めたの」
「…え?」
「それまでは見習いで、あんまり人前で話すこともなかったし。ちょっと気を付けて、後は普通にお姉ちゃん、って。
  でも正式に天馬騎士になったら、そうもいかないから。その頃からずっと、姉さんって」
「そんなに早かったかしら、呼び始めたの」
「うん…でも。シレーネ隊長、も多かったから」
「…そう、か。そんなに早くからだったのね」

気付かなかった。
あの頃はターナ様も育ちざかりで、任務のこともすごく忙しかったけど。
まさか妹の変化にも気付いてやれなかったなんて。

「ごめんね…ヴァネッサ」
「?今日一日付き添うってこと?気にしなくていいよ」
「…その変な鈍感さもかわいいわ」
「姉さん、よく分からないよ」
「いえ、こっちの話だから」


「さ、姉さん。いつまでもこの天幕にいても仕方ないよ。姉さんの天幕に移ろう」
「そうね。私以外に怪我した人だって利用するものね、この天幕」

そう言いながら私もヴァネッサも立ち上がる。
足首に痛みが走るけど、痛みはないような素振りで。

「…姉さん」
「なあに、ヴァネッサ」
「分かってるんだよ、私。その足首何もしなくても痛いって」
「え…」
「昔、私もやったことあるの。まだティターニアと上手に遊べなかった頃」
「ばれてたの?さっきからずっと」
「うん。でも姉さん、ずっと平気だって嘘ついて」

ヴァネッサの顔が、悲しそうなものに変わって。
ちょっと悲しかったんだよ、って呟いた。

私は、ヴァネッサの自慢できるような姉になりたかった。
そう考えるあまりに私は、ひどい姉になっていたのかもしれない。


「天幕まで負ぶっていくよ。足、痛いだろうし」
「い、いいわよ…痛くたってちゃんと、歩けるから」
「無理すると、凄く腫れるんだよ。皆に知られたくないんでしょう?」
「…分かったわよ」

渋々、しゃがんだヴァネッサに身を預ける。
いい歳した隊長が部下、それも妹に負ぶわれて帰るなんて。笑われるわね、きっと。
でも、そんな部下の背中は昔見たものとは違って、とても安定したものだったから。
負ぶわれたこともあってか、私の視界や記憶は全然違うものに思えた。

私の足にあまり刺激がこないように、気を遣ってゆっくり歩くヴァネッサ。
そんなことしたら、長いこと負ぶることになるから、あなたが疲れるでしょうに。
こういう細かな気遣いが出来るようになるのも、姉としてとても嬉しい。
でも、姉にまで遠慮するのは少しだけ、悲しい。

嬉しいやら悲しいやら、色んな気持ちが混ざり合って複雑になる。
それまでも包み込んでくれそうな背中は、紛れもない自分の妹のもの。
ヴァネッサから見た私の背中は、ここまでしっかりして見えるのかな。


「いつの間に大きくなったのかしらね…ずっと小さいままだろうって油断してたわ」
「失礼な。私だって大きくなりますよ」
「ホント」
「姉さんも大きくなったよ」
「…素直に喜べないわね。どういう意味?」
「そのまんまの意味」

ちょっと笑って。それから少し、途切れる会話。
私達を包む空気も静かで、行軍の最中の休憩なのに平和だなと感じてしまう。

「…こうしてると思い出すな。まだお姉ちゃんって呼んでた頃」
「そういえばヴァネッサ、昔は私によく負ぶわれてたわね…」
「うん。覚えてる?私が森で、怪我したときのこと」
「ええ…あれはよく覚えているわ。とてもひやひやさせられたもの」

肩の辺りに首をもたれさせて、目を瞑って思い出す。
休日に、たまにはヴァネッサと遊ぼうということで森に行ったあの日のことを。
ペンダントを作ると言って、二人で木の実を取っていた。
離れちゃ駄目だよと釘をさしていたのに、気付くとヴァネッサの姿は見えなくなっていた。
必死に探し回ってもなかなか見つからなくて、終いには涙目で大声を出して探した。
幾ら街に近いといっても、やっぱり森は森だから。夜にもなれば、いろんなものが出てくる。
もしかしたら熊にでも襲われて、とか嫌なことばかりが私の頭を過ぎた。
もしヴァネッサがどこにもいなかったらと考えて、涙がこぼれて。
座り込んで涙を拭っても、どんどん溢れ出してきた。

草を掻き分ける音がして、心臓が飛び出そうなほど驚いて。
顔を上げると、涙で顔をくしゃくしゃにしたヴァネッサが立っていた。

一瞬だけ、息も涙も止まった気がして。
お姉ちゃん、と泣きながら駆けてきたヴァネッサを抱いて、私も泣いた。

「お互い、すごい顔してたわね。あの泣き顔は」
「うん。だってもう姉さん死んじゃったかと思ってた」
「私はヴァネッサが死んでたらとか思ってたわ」
「ひどいなぁ」
「貴女だって」

「そのあと私、姉さんに負ぶってもらって家に帰ったよね」
「そうそう。私の肩をぎゅって掴んで。泣きながらお姉ちゃんごめんねって」
「う…そうだったっけ」

暖かい思い出の数々は心地良くて、いつまでもそれに埋もれていたくなる。
…だけど、そうはいかないものなんだ。
心の切なさが、その事実を物語るように自身を主張した。


「着いたよ、天幕。ここで合ってたよね」
「ありがとう。疲れたでしょう?ヴァネッサ」
「まあ…でも大丈夫だよ」
「中に入って、適当な所に降ろしてくれればいいわ」

私をベッドに降ろして、ヴァネッサはお茶の葉を探しだす。
前にここに来たときと位置はあまり変わっていないから、すぐに場所はわかったらしい。
それでも確認の為にこれでいいんだよね、と聞くのはヴァネッサの性格で。

淹れたてのお茶を二つ持って、ヴァネッサは私の横に腰掛ける。
一口飲んで、私好みの味だと気付く。
本当に、生真面目な子。

それから二人で他愛もない話をする。
とても楽しいときだけど、心は思い出で暖かいままで。


「…ねえ、ヴァネッサ。お姉ちゃんって呼んでみて」
「…え?い、いまさらお姉ちゃんだなんてなんか恥ずかしいよ」
「だめよ。言ってみて」

不意に口からこぼれた思いだったけど、あまり後悔はなかった。
今のように上司や部下の拘りもなく、
あの頃のようにただ純粋に、姉と妹の関係を確認したかった。

「お…お姉ちゃん…」
「……」
「……?姉さん?」

怪訝な顔をして、私の顔を覗き込むヴァネッサ。
心配してるみたいだけど違うのよ。可愛いから貴女が。
ああもう辛抱たまらんばい。

「あーだめよヴァネッサ貴女もう結婚とか絶対しちゃだめ!
  ずっと私の妹でいなさいね!」
「な、なにそれ!?」

愛しさのあまり抱きしめた妹は、やっぱり昔のように小さいままだった。
体勢の悪さだって足の痛さだってなんだって気にしない。

やっぱりこの子は私の可愛い妹なんだ。
話し合って笑い合っていろいろ分かち合って、やっとそれが分かる。
それを怠っていたから、分からなかっただけなんだ。

「…ずっと一緒よ?」
「…うん」

「好きな人とか出来たら言いなさいね?姉さんが見極めてあげる」
「…うん」

この子がいつまでも私の妹でいてくれるように、
私もずっと、この子の姉でいつづけよう。
いつかまた私が貴女を負ぶった日に、しっかりした背中だと思われるように頑張るから。




FIN





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