悩み
刹那は今、山奥で剣を振っていた。
元々山には魔物退治に来たりはしていたが、今回は目的が違う。
休日は山奥にいるという楓の元で、修行をしているのだ。
見えない敵に向かい、無心で剣を振り続ける。
日頃色々と悩みの多い刹那は、剣を振ることでそれを切り離していた。
自らに流れる血のこと、強さのこと、護りたい人達のこと。
そして、敬愛を注ぐ彼の人…楓のこと。
決してすべてを忘れたいというわけではない。
しかし未だ幼く未熟な自分には、少しばかり重すぎる。
こうした少しの間でも降ろしておかないと、流石に潰れてしまいそうになるのだ。
己の剣の道のみと対峙するこの時は、刹那にとっては数少ない安らぎでもあった。
何回振ったかも分からない愛刀夕凪の切先を、また空に掲げる。
そこで目に付いた空は薄暗く、素振り開始から長くの時間が経ったことを知らせた。
楓の姿が見えないことが気にかかった。夕凪を振り上げた形をやめ、鞘に収める。
大方いつものように山菜やイワナを取っているのだろうが、もし何かがあっていたら。
楓が苦戦をするような相手に、変化無しの刹那が敵うわけがない。
しかし、楓の為になら羽を出してでも何をしてでもその相手に勝ってみせる程の気持ちがあった。
ふっと息を吐いて、心を落ち着かせる。気配を感じ取るが、戦闘中のような大きなものは無い。
楓は無事。
ならばその内に戻ってくるだろうと肩を撫で下ろす。
「戻ってくる前に、これを移動させておくか…」
足元から少し離れたところに縛ったまま置いていた薪を取る。
そのまま刹那はテントの組み立ててある方へと歩き出した。
幾ら神鳴流剣士と言えども、素振り後に多くの薪を運ぶのはやはり応えた。
半ば落とすように抱えた薪を置くと、その場に腰を落とした。
背中よりも後ろに両手をつき、顔を上げて空を見上げる。
空は見えなかった。
換わりに見えたものは、楓の顔だった。
「……!!」
「ははは、お疲れのようでござるな」
驚きで声も出ず、体を支えていた両手の力が抜けてその場に倒れる形となる刹那。
楓はそれを普通の表情とはあまり変わらない微笑みで見下ろす。
いつまでもこうして寝転がっているのは行儀が悪いかなと思い、起き上がった刹那の目の前に出された竹編みの籠。
前に回るのが早いなと思いつつ、満面の笑みをしているであろう楓を見上げる。
前もって表情の予測が出来るのは、籠が差し出されることが初めてではないから。
いつもは先に言われてるけど、今日はこっちが言ってみようかな。
楓が物を言う前に、刹那が口を開く。
「今日も、沢山取れましたか」
「…先に言わないでほしいでござる。今日はイワナが大漁でござるよ」
困り顔をしながら、竹籠を地面に置く楓。
その表情を見てかわいいなとは思ったものの、刹那にはそれを簡単に告げられる程の勇気はなかった。
「はは、これで明日の朝食も安心ですね。…そういえばすいません、食料調達手伝えなくて」
「なに、いいでござるよ。刹那殿がここに修行をするために来ているなら、剣を振るのが一番でござろ」
「そう言ってもらえると助かります。代わりと言ってはなんですが薪の補充分は割っておきました」
「ふふ、刹那殿の場合は割るというより斬るといったところでござろう」
「神鳴流にはそういう事に適した技もあるんですよ」
「それはなんと…便利なもので。さ、その技で斬った薪で夕食の支度を始めるでござる」
イワナは塩焼き、山菜もやはり塩を振ったりするような質素なものなので調理もすぐに終わる。
起こした火はその後風呂に使う為、そして明かりの代わりに残してある。
二人はそれを囲みながら、食事を始める。
「作っておいて今更な気もするが、いつも同じような食事ですまないでござるな」
「そんな。楓さんの料理はおいしいし、和食も好きですし全然大丈夫ですよ」
「刹那殿は優しいでござるな…。拙者、そういうところも好きでござるよ」
いつもと変わらぬ笑顔のまま、さらっと出された好きという言葉。
それに刹那は反応して、危うく楓の手料理を噴き出しそうになる。
それをなんとか止めて飲み込み、狙っていたかのように差し出されたお茶を飲む。
「っは…あ、危ないじゃないですか楓さん!」
先程出そうになったイワナはもう腹にしまいこみ、今度は抗議を出す。
抗議を受け取るとともに湯飲みも受け取り、楓は新しく茶を入れる。
「ふふ、そういうところは可愛いから好きでござる」
「またそんなこと言って…」
「良いではござらんか。もう口に何も含んでないなら」
「そういう問題じゃないんですよ…」
すっかり赤くなった顔を俯かせた刹那を見ながら、茶を飲む。
これ以上からかうのも不憫な感じがしたので、刹那の全てが大好きだという言葉は、心の中で呟く。
ちら、と視線を上げこちらを見た刹那と目が合う。
すぐに視線を下にやる様を見ながら、微笑む。
楓にとって、これが一番の安らぎなのだ。
「さてと…風呂を沸かして入るでござるか、刹那殿」
「な、なんで私にまで了解を取るんですか」
「…と、言うことはつまり?」
「私はいいです。その、前から言っていますが一緒には入りませんよ」
刹那の赤面もやっと収まったと思い声をかけたが、それはまたすぐに戻ることになった。
拗ねるようにそっぽを向いた刹那は、頑なに楓の目を見ようとしない。
二人はこの攻防を、刹那が修行に来る度に繰り広げている。
そしてそれは今日も、例外ではなかった。
「困ったでござるなあ。二人が別々に入るとなると、薪が沢山必要でござるからー」
「その点は抜かりありません。沢山斬りましたし、まだ足りないならまた斬ります」
「…むう、なかなか手強い」
多少わざとらしく言って責める作戦も、こう毎度毎度のこととなると軽くかわされる。
刹那はことごとく楓との風呂や就寝を避けていた。
前々回は共同風呂、前回は部屋の風呂へとわざわざ入りに行っている。
しかもその後にまた戻ってきて、今度は楓のいるテントには入らずその隣で寝袋を出す。
楓にとっては素直じゃないやらなんか悲しいやらで困ったことだった。
今のところ、楓は全敗。
そろそろしびれを切らし始めていた楓は、とうとう勝負に出る。
「刹那殿はいつも拙者との風呂や就寝を避けているが…」
「……?」
「拙者、ちょっと悲しいのでござるよ…」
少しだけ眉を下げて、ぐすっと鼻をすすってみる。
すると刹那ははっとなったように顔を上げる。泣かせてしまったかと不安に顔は曇り気味。
「か、楓さん…?」
「刹那殿、せめて…理由だけでも聞かせて欲しいでござるよ」
「理由?あ、いや、それは、その…」
せめてとは言ったものの、理由だけ聞いて引き下がる気は端からない。
これはあくまで過程なのだ。楓にとっての真の結果は一緒に風呂、就寝。
「ああっ、刹那殿は理由を知らせてくれないほど拙者のことが嫌いなのでござるか…」
「それは違いますっ!その、だって…」
かかったな、楓は心の中で笑う。
しかし顔には出さない。出してしまえば全てが水の泡。
顔を真っ赤にしながら見つめる刹那をかわいいな、と思いながらも攻撃は続ける。
「だって、とは?」
「あっ、いや…なんでも、ないです」
「ああっ、やっぱり刹那殿は拙者のことが!」
「うわあああもう!」
もはやぐだぐだだ、と楓は思った。
しかし主導権は自分にある、これはもう刹那が理由を言うしかないのだ。
「だ、だって…。あの風呂やテントだと…狭くて、楓さんと…」
やっと話し始めた刹那の言い分を、うんうんと頷きながら聞いていた、が。
「…ん?もしかしてそんなことでござるか?ははは、拙者は別に気にしないでござるよ」
刹那の背中をぽんぽんと叩く。
ほら、と促されて立ち上がる刹那。
そんな彼女の肩を抱き、楓は歩き始める。
「さあ、もう風呂は沸いたでござる。狭いことは気にしない、二人で入るでござるよ」
「あ、ちょ…ちがっ、狭い空間によって引き起こされることが本当の問題で!」
「そんなもの、些細なものでござるよ」
「や、楓さん!無理矢理服を脱がさないで下さいよおっ!」
夕暮れの山奥に、一人の剣士とは思えないような情けない声がこだました。
「温かくて気持ちいいでござるな…やはり、少し狭いが気にしないで欲しいでござるよ」
「だから、そうじゃないんですってば…」
風呂に入ってからというもの、何かにつけてくっついてくる楓を器用に避けつつ刹那は言う。
その顔が赤いのは、のぼせた訳ではないのは確か。
そんな刹那の頭を、楓は愛でるように撫でた。
「テントで寝るのも、狭いかと拙者に気を使っていたのでござろ。心配ないでござるよ」
「いやその、体が当たるから…」
「拙者は刹那殿と一緒に寝たいでござる。駄目でござるか…?」
「…!もう、好きにして下さいよ…」
元々赤かった顔をますます赤らめ、刹那は顔を少しだけ風呂にうずめた。
終わり
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